ベトナム人民軍の組織と思想についての概説 /文責・九月 清隆
■ PAVN Party,Ideology and Leadership
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 (1−1)ベトナム人民軍(Quan doi Nhan dan Viet Nam)
ベトナム戦争の革命側で軍事的に抗戦を担った人民軍の起源を求めると、1941年第二次世界大戦中にホー・チ・ミンによって召集されたインドシナ共産党(後に自主解党)第八回中央委員会拡大総会にてインドシナ三国の「民族解放闘争」を掲げ、ベトナム北部で抗日、抗仏を目的に結成された『越南独立同盟(ベトナム・ドゥクラップ・ドンミン)』略称ベトミンの武装解放軍宣伝隊と言うことになります。
「宣伝隊」と言うその名の示す通り当初から軍隊としての役割と共に、兵士個々人の解放闘争への理解と献身が重要であるとされ「ベトナム革命」の旗手と言う任務を帯びた特異な武装力でした。「ベトナム革命」とはホー・チ・ミンのメッセージであった自由と独立の獲得、アメリカとその影響下にあったサイゴン政府によって分断された統一ベトナムの回復を指しました。

ベトナム労働党(1951年に改称していた)は解放闘争を遂行する為に陸上武装力(当時の総兵力は約58万名・民兵150万名※筆者注・最も大きい推定数をとった)を主力軍(主に師団規模)、地方軍(主に連隊規模)、遊撃軍(定数不確定)の三種類に分別し、その他に地域的な民兵部隊を置きました。この三種の軍隊は人民を基礎にし、人民に依拠して、相互に協力し合い敵を軍事的と同時に政治的、経済面でも攻撃しなければならないとされました。 これは毛沢東の提唱した「人民戦争」理論の典例とも言えますが、ベトナムと中国では様々な状況に違いがあり、純軍事的にはアメリカ・サイゴン政府側に勝利すると言うことが困難であると認識されていました。またアメリカ軍の戦闘部隊の直接介入に対応して人民軍部隊の南部投入を本格的に開始すると、長期的な抗戦により敵の戦意を喪失させ、アメリカの対ベトナム政策への信用を失墜させて挫折させると言う目的をより明確にしました。この方針に基づいて実施された1968年のテト攻勢などが―軍事的には失敗でしたが、政治面での攻撃成功例として有名です。
しかし1970年代に入ると正規戦による攻勢戦略が増えて「人民戦争」的要素は減少し、多くの攻勢作戦は南側に軍事的圧力をかけて、条件譲歩を引き出すために計画されるようになりました。
また古典的な正規戦による攻勢により1975年4月30日にサイゴンを陥落させて南部全土を掌握し、ベトナム戦争が幕を閉じたのも人民軍の変貌を印象づける結果となりました。

 (1−2)南ベトナム解放民族戦線(Mat tran dan toc giai phong mien Nam Viet Nam)
南部における武装闘争の発動を承認した労働党の「十五号決議」を受け、以前より密かに南ベトナム内に結成されていた労働党南部中央局(COSVN、表向きは人民革命党と呼ばれた)は、武装闘争の開始にあたり、より広範な支持を受けるために社会主義的な政策をひかえ、現実的な大衆組織を結成する必要がありました。 その方針により、南ベトナム解放民族戦線の結成に際し採択された解放戦線の基本綱領には「アメリカ帝国主義とサイゴン政府の支配から脱し、平和・民主・中立的な南ベトナムを建設する」と謳われ、北の労働党と異なる働きを期待されました。
1960年12月21日に南ベトナム解放民族戦線(議長は労働党の秘密党員だったグエン・フー・ト)は結成され、徐々に南部の民衆のみならず、世界の多く人々の共感を得ることに成功し急速に勢力を拡大して発展しました。
1969年6月8日には解放戦線を母体にした「南ベトナム共和国臨時革命政府」(首相フィン・タン・ファット)を樹立、これは1973年のパリ和平協定などでサイゴン政府側と同等の地位を占める事に大きな役割を果たしました。
軍事的に解放戦線部隊の中核となった志願民兵(農村部の青年層中心)は、統一の差はありましたが捕獲品や援助物資で装備も充実した主力部隊(3000〜4000名)に編成されて戦闘単位で行動しました。また解放戦線兵士は通称ベトコン(VIET CONG 越共の意味で蔑称に近い)、または好意的にジャイフォン(GIAI FHONG・解放さん)と呼ばれました。
部隊名は部隊番号と共に地域の名前で呼ばれることが多くメコンデルタ(第9)やタイグエン、ビンディン、チティエンなどが存在しました。これら主力部隊と潜在的な解放戦線支持者、いわゆるベトコン・シンパは農村部を中心に浸透し、その他には反政府運動で都市部を脅かしサイゴン政府側の基盤を大きく揺るがすことに成功しました。
ただ、テト攻勢では組織に打撃を受け、都市部のネットワークを失い、以後の軍事的役割は大きく減少しました。ベトナム戦争の終結を迎え南北統一が達成されると、解放戦線は歴史的な役目を終えたとして解散しましたが、実際に解放戦線と言う枠組みにどれだけ主体性、独自性があったのかと言う問題が残りました。

 (2)ベトナム人民軍と党組織の関係図
※準備冊子にて仮配布済み。電子テキスト化準備中。


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