| あ行 | |
|---|---|
| アイゼンハワー米大統領 | [Eisenhower,Dwight David](1890-) 1953年から60年まで大統領。ドミノ理論に基づき南ベトナムを反共の防波堤と位置付けジェム政権を支持しテコ入れする政策をとった。 |
| アドラン司教 | 準備中 |
| 一ノ瀬泰造 | (1947-1973) 1970年UPI通信社東京支社に勤務。カンボジア・ベトナムの最前線で取材を敢行。1973年カンボジア・アンコールワット遺跡取材の途上、クメール・ルージュによって殺害される。享年26歳。特に「地雷を踏んだらサヨウナラ」のくだりのある手記は映画の題名に使われるほど有名になった。 |
| ウエストモーランド | [West-moreland,William](1914-) 1964年6月〜68年7月まで南ベトナム援助軍司令官。 ベトナム戦争の期間に最も有名であり、アメリカの敗北の一因に責任負う立場の在ベトナム米軍司令官。解放勢力側を正規戦に引きずり込み叩く戦術や、機動兵力による索敵撃滅作戦を推進したが、解放側の継戦能力を奪うことは出来なかった。 |
| エルズバーグ・ダニエル | [Daniel Ellsberg] アメリカの官僚。国防総省などに勤務しベトナム政策の検討の作業に従事。アメリカのベトナム政策に疑念を抱くにあたり71年には国防総省秘密報告書(ペンタゴン・ペーパーズ)ニューヨーク・タイムズ紙に暴露した。 |
| エイブラムス | [Abrams,Creighton William,Jr](1914-) 南ベトナム援助軍司令部で1967年よりウエストモーランドの副官。68年7月〜72年まで南ベトナム援助軍司令官。 |
| オリヴァー・ストーン | (1948-) アメリカ人映画監督。「プラトーン」「7月4日に生まれて」「天と地」など良質のベトナム戦争関係映画を作った。 |
| か行 | |
|---|---|
| カイソーン | [カイソーン・ポムビハーン Kaysone Phomvihan] ラオス人民党(人民革命党)書記長。ラオス人民民主共和国首相。 1940年代ハノイのインドシナ大学に留学中にインドシナ共産党に接近し抗仏戦争に参加。55年のラオス人民党結成と共に同党の書記長となる。 |
| カオ・ビエン | 準備中 |
| カン・リー | サイゴンの歌姫と言われたベトナム人歌手。1975年渡米。NHK番組「家族の肖像」で特集された。 |
| キッシンジャー | [本名=ヘンリー・キッシンジャー](1923-) 1973-77年、米国務長官。劇的な米中接近などデタント外交で知られる。73年ベトナム和平(パリ協定)に貢献しベトナム側代表のレ・ドク・ト(※返上)と共にノーベル平和賞を受賞。 |
| キング牧師 | [本名=マーチン・ルーサ・キング] アメリカの黒人指導者。ベトナム反戦運動にも尽力したが1969年暗殺される。 |
| グエン・アイ・クオック | [阮愛国 Nguyen Ai Quoc] ホー・チ・ミンの別名。愛国者グエンと言う意味。「安南人民の要求」で一躍有名となった名前でもある。党機関紙「ニャンザン」紙上でもよくこの名前で寄稿していた。 |
| グエン・カオ・キ | [Nguyen Cao ky](1930-?) 南ベトナム空軍司令官で首相も務めた、軍人政治家。65年のクーデターで実権を握った若手軍人の一人で、67年には南の副大統領に就任。過激な発言で悪名を馳せたが次第にチュー派に権力を奪われていった。 |
| グエン・カーン | [Nguyen Khanh](1927-) サイゴン政権内の軍人政治家。1963年、ジェム政権打倒のクーデターに参画。64年1月には更に実権を握るために再度クーデターを起こすが、安定した支配体制を構築できず、またアメリカの信任を得られなくなると解放戦線側に歩み寄る可能性を示唆した為、チュウら強硬派若手将校に追放された。 |
| グエン・コ・タク | [Nguyen Co Thach] ベトナム民主共和国外務次官、統一後外相。 アメリカとの秘密和平交渉を指揮する立場に置かれ、長く外務に従事した。 |
| グエン・ゴク・ロアン | [Nguyen Ngoc Loan] 南ベトナム・サイゴン政権の警察長官として第一軍区の反体制勢力の鎮圧に活躍。1968年のテト攻勢の際に解放戦線容疑者を路上で射殺し、その光景が世界に報道され有名になった。 |
| グエン・ズイ・チン | 準備中 |
| グエン・ズゥ | [阮攸 Nguyen Du](1765-1820) ベトナム文学最高峰、長編詩「金雲翹新伝」の作者。 |
| グエン・チ・タイン | [Nguyen Chi Thanh](1914-1967) ベトナム労働党政治局員。人民軍大将、南部戦区総司令官。 67年6月の戦死まで南部での武力闘争における現場最高責任者(南部中央局書記)であり、68年のテト攻勢の原案者。実際にはより積極的な主力軍の投入を予定していたと言われている。 |
| グエン・チ・ディン | [近訳→グエン・ティ・ディン Nguyen Thi Dinh](1920-1992) 南ベトナム解放民族戦線中央委員、人民解放武装勢力副司令官。南における解放闘争を初期の段階から指揮し、強いベトナム女性の代名詞となった。後にベトナム共産党中央委員、婦人連合会会長。 |
| グエン・チ・ビン | [近訳→グエン・ティ・ビン Nguyen Thi Binh](1927-) ビン女史。女性政治家。南ベトナム解放戦線中央委員。 パリ会談における解放戦線側代表を務めた。 |
| グエン・バン・チュー | [近訳→グエン・バン・ティエウ Nguyen Van Tieu] 1965年のクーデターで南ベトナム大統領に就任、ベトナム戦争期間の長くを在任していた南ベトナム軍の実力者。1975年サイゴン陥落直前に台湾へと逃亡した。 |
| グエン・バン・チョイ | [Nguyen Van Troi](1940-1964) 南ベトナム反政府活動家、パルチザン。 1962年にコムソモールの部隊に加わる。64年にベトコンとして公開処刑されるが、その際の毅然とした最後に多くの共感が生まれた。当時のスローガンにもなり「愛国者グエン・バン・チョイ烈士の仇を討つ」など。現在でも人民英雄として人々に記憶されている。 |
| グエン・バン・ヒュー | [Nguyen Van Hieu] サイゴン市のフランス系学校の教師で、解放民族戦線の組織者の一人。1951年以来、北ベトナム指導層と解放戦線の重要な連絡工作員であった。 |
| グエン・バン・リン | [Nguyen Van Linh](?-1998) ベトナム労働党南部中央局書記、戦後ベトナム共産党書記長を歴任。暗号名「ムオイ・クク」「ラオ・バイ(Lao Bai)?」。 南部の出身。早くから北労働党の秘密組織である南部中央局の指揮を取り、南ベトナムでの裏面で活動した。1986年共産党書記長。ドイモイ政策開始に尽力した改革派指導者。別名多数。 |
| グエン・フー・ト | [Nguyen Phu To] 南ベトナム解放民族戦線議長、臨時革命政府顧問評議会議長。ベトナム労働党秘密党員。 元は弁護士の出身。解放戦線の表の顔となり活動した。 |
| グエン・フエ | 準備中 |
| グエン・タイン・チュン | 南ベトナム空軍中尉・解放戦線秘密連絡員。1975年4月8日南ベトナム大統領官邸を爆撃。現在はベトナム航空に在籍。 |
| クロンカイト・ウォルター | [Cronkite Walter Leland] 当時アメリカの著名なニュースキャスター。テト攻勢時におこなった発言はジョンソン大統領に大きな衝撃を与え、再選を断念させた一因になった。 |
| ケネディ米大統領 | [本名=ジョン・F・ケネディ Jonh F.Kennedy](-1963) 第35代アメリカ合衆国大統領。初期の特殊戦争戦略を推進、対ゲリラ戦闘に米軍事顧問を送り南ベトナム援助軍組織を設立させた。ベトナム問題の(撤退を含む)再検討を考えていたと言われるが1963年にダラスで暗殺された。 |
| ゴ・グエン | 準備中 |
| ゴ・ディン・ジェム | [Ngo Dinh Diem](1901-1963) ベトナム共和国(南ベトナム)最初の大統領、自分の批判する者を徹底的に弾圧し民衆の憤激を買った。1960年に反ジェムを掲げた解放民族戦線が結成されると窮地に立ち、サイゴン政府側の失地回復を不可能にした。63年にはそれまでの支援者だった米国黙認のクーデターが発生し非業の死と遂げる。歴史参照 |
| ゴ・ディン・ニュー | [Ngo Dinh Nhu](1910-1963) ジェムの実弟、顧問。秘密警察を使い悪虐の限りを尽くした。ジェムと同様、クーデター時に政敵に暗殺された。 |
| ゴ・ディン・ニュー夫人 | [本名=チャン・レ・スアン Tran Le Xuan](1924-) ジェム政権下の南ベトナムで「ドラゴンレディー」と呼ばれ、63年の仏教僧の焼身抗議を「バーベキュー」と放言し、それが世界的に報道され、特にサイゴン市民の憎悪を買った。 |
| さ行 | |
|---|---|
| 沢田教一 | (1936-1970) ベトナム戦争の報道写真で世界的に有名な写真家。1965年ピューリッツァ賞受賞。1970年カンボジアにて狙撃され死亡。その死後、ロバート・キャパ賞を受賞した。 |
| シアヌーク | [本名=ノロドゥム・シアヌーク Norodom Sihanouk] 1941年カンボジア国王。1955年退位、70年まで国家主席。1982-87年民主カンボジア三派連合政府大統領。現在国王に復位。 |
| ジェーン・フォンダ | [Jane Fonda] アメリカの女優。1972年に北ベトナムを訪問。78年には戦争批判に目覚めていく軍人の妻を描いた『帰郷』でアカデミー賞を受賞。その反戦的(親北ベトナム的)なスタイルで中傷を受けたりもした。 |
| ジャロン | [嘉隆/グエン・フック・タイン=阮福映] 準備中 |
| 周恩来 | [Chu An Lai] 準備中 |
| ジョンソン米大統領 | [本名=リンドン・B・ジョンソン Lindon B.Jonson] 第36代アメリカ合衆国大統領。1963年ケネディ暗殺の後大統領に就任。ベトナム介入を深めて失敗。 1968年、二期目の再出馬をせず任期を終了。 |
| スアン・トイ | [Xuan Thuy] パリ和平交渉の北ベトナム代表団団長。事実上は政治局員であるレ・ドク・ト(代表団顧問)に従属していた。 |
| ズオン・バン・ミン | [Duong Van Minh] 南ベトナムの将軍。「ビック・ミン」と呼ばれ南側ではめずらしく名声があった。中道右派の立場をとり、アメリカにも警戒されて政局からは離れていた。1975年4月28日、南ベトナム最後の臨時大統領に就任し、無条件降伏の宣言を行った。戦争終結後は長年にわたり拘留されていたが83年にフランスへの移住を許可され、パリ近郊で生活。1998年頃アメリカに移り86歳で死去。 |
| スターリン | [Iosih V.Stalin] ソ連の政治家。過酷な粛正で有名。1953年死去。 |
| た行 | |
|---|---|
| ダレス | [Foster Jonh Dulles]準備中 |
| ダン・ブー・ヒエップ | [Dang Vu Hiep] 中部方面軍司令官。人民軍上将。 1965年のプレイク基地攻撃など数々の作戦を指揮した。 |
| ダン・ニャット・ミン | ベトナム人の映画監督。代表作「河の女」「ニャム」 |
| チャン・バン・チャ | [Tran Van Tra] 人民軍上将。B-2戦区総司令官、総参謀長。 早くから南部解放の司令官的な役割を担い、現地指導した。サイゴン解放後はサイゴン・ジャティン区軍事管理委員会委員長を勤めた。戦後に南部の独自性を強調し労働党による指導を批判したため閑職にまわされた。レ・ズアン死去後に彼の名誉は回復された。 |
| チャン・フー | [Tran Phu] 準備中 |
| チャン・フン・ダオ | [陳興道 Tran Hung Dao/チャン・クオック・トアン=陳国峻](1229-1300) 元軍(モンゴル軍)の襲来に際して総軍を指揮し二度わたり撃退。バクダン(白藤)江の戦いは世界史的に有名。ベトナムの民族的英雄。 |
| チャン・ナム・チュン | [Tran Nam Trung] 解放民族戦線軍総司令官。北労働党南部委員会第二書記。暗号名「ハイ・ハウ」「ナム・ガ」。 |
| チュオン・チン | [長征 Truong Chinh](1907-1988) ベトナム労働党政治局員。国会常任委員長。 名前の通りベトナムにおける親中派の代表格。「ドイモイ」の提唱に大きな役割があったとされる。党の主要な理論家の一人。 |
| チン・コン・ソン | (1939-) 反戦作曲家。哀愁を帯びた彼の歌は現在でも評価が高い。 |
| デービット・ハルバースタム | 準備中 |
| デビット・パットナム | 準備中 |
| トン・ドク・タン | [Ton Duc Thang] 「トンおじさん」準備中 |
| な行 | |
|---|---|
| ニクソン米大統領 | [本名=リチャード・M・ニクソン Richard M.Nixon](1913-1994) 第37代アメリカ合衆国大統領。1968年当選。北爆の強化、カンボジア侵攻など戦争推進者としての面がある保守派共和党系の大統領。最終的にはベトナム戦争の幕引きをすることになった。1973年ウォーターゲート事件が引き金となり辞職。米映画「ニクソン」も興味深い。 |
| は行 | |
|---|---|
| ハイ・バ・チュン | [Hai Ba Thung] ベトナム民族の精神的支柱、徴姉妹(チュン・チャック=徴則、チュン・ニ=徴弐) 現在のハノイ北西の豪族の出身で0040年に漢の支配に対して立ち上がりベトナム初の独立を果たした。約三年の短い独立であったが民族的英雄として記憶に刻まれている。 |
| バオダイ | [保大 Bao Dai] ベトナムの伝統的な最後の皇帝。1949年からゴ・ディン・ジェムを初代大統領として南ベトナムが共和国になる55年まで、フランスの主導による名目上の支配者であった。 |
| バン・ティエン・ズン | [Van Tien Dung](1917-) ベトナム労働党政治局員。人民軍総参謀長(1974年大将に昇格)1972年春季攻勢、75年ホーチミン作戦司令官。戦争初期には北部防空戦とホーチミン・ルート関係の作戦を指揮。人民軍部内でもザップ将軍と異なる正規正面戦を唱えたグループに属する。戦争後半の正規戦を主体にした攻勢計画はズン将軍の路線でもあった。 |
| ファン・チャウ・チン | [Pham Chau Trinh] 準備中 |
| ファン・バン・ドン | [Pham Van Dong](1905?-2000) ベトナム労働党政治局員。ベトナム民主共和国蔵相、54年首相就任。党の重要な決定に関して大きな役割を持っていた。86年政治局を引退。ホー・チ・ミンの直弟子であり革命第一世代と呼ばれた。 |
| ファン・フン | [近訳→ファム・フン Pham Hung](1912-1988) ベトナム労働党政治局員、同南部中央局書記。暗号名「バイ・ホン(Vai Hong)」。 レ・ズアン、グエン・バン・リン等と共に南ベトナムでの活動に大きな役割を果たした。統一後は首相も勤める。 |
| ファン・ボイ・チャウ | [潘佩珠 Phan Boi Chau](1867-1940) 反仏運動を指導し日本へ留学生を送る「東遊運動」を展開した勤皇派民族独立運動者。弾圧され監禁、失意の内に死去。 |
| フィン・タン・ファット | [Huynh Tan Paht] 臨時革命政府首相。ベトナム労働党秘密党員、暗号名「タム・チ(Tam Shi)」。 元は建築家であったが59年の解放戦線結成を指導したインテリの一人。抗米戦争中は常に解放戦線とその関連組織の中核を形成していた人々に対する北労働党の統制を保っていくうえで、重要な役割を果たしたと思われる人物。 |
| フォード米大統領 | 準備中 |
| ボー・グエン・ザップ | [Vo Nguyen Giap](1912-) ベトナム労働党政治局員、ベトナム民主共和国副首相兼国防相、人民軍総司令官(大将)。初期からのホー・チ・ミンの同志。1944年に武装宣伝解放軍を作り、人民軍の基礎を創設。ディエンビエンフーの他、数々の戦いを指導し勝利に導いたベトナムの名将。戦争思想家の顔も持ち多くの軍事論文を発表している。 |
| ボー・バン・キエト | [Vo Van Kiet] ベトナム労働党政治局員、暗号名「サウ・ダン(Sau Dang)」。 抗仏・抗米戦争において労働党サイゴン・チョロン・ジャティン地区書記。戦後労働党政治局員。 |
| ホアン・バン・ホアン | [Hoang Van Hoan] ベトナム労働党政治局員。初期からのホー・チ・ミンの同志であり協力者。 親中派。レ・ズアンとレ・ドク・トの親ソ路線に反対し1979年に中国へ亡命。 |
| ホー・チ・ミン | [胡志明 Ho Chi Minh/本名=グエン・タト・タイン](1890-1969) ベトナム労働党主席、同民主共和国大統領。フランス・アメリカの帝国主義と戦うベトナムを象徴する存在であった。また「ホーおじさん」と北側のみならず南部の人々にも親しまれベトナム民族の尊厳を体現した。 →【詳細】ホー・チ・ミン |
| ポール・ハーキンス | 準備中 |
| ポル・ポト | [本名=サロト・サル Pol Pot](1925-1996) 1963年カンボジア共産党書記長に就任。クメール・ルージュ軍を率いアメリカに支援された右派ロンノル軍と死闘を繰り広げる。1975年プノンペン陥落後、権力の座に着き国民の大虐殺を行った。その後新生ベトナム軍の1978年侵攻によってタイ国境へと駆逐された。 |
| ま行 | |
|---|---|
| マクナマラ | [本名=ロバート・マクナマラ] アメリカ国務長官。北側からの南部侵入を阻止するため防御線(通称マクナマラ線)の構築を推進したが、ラオス側を迂回する革命勢力側を止める事は出来なかった。1967年辞任。 |
| ミンマン | [明命]準備中 |
| 毛沢東 | [Mao Trach Dong] 中華人民共和国を建国に導いた中国の政治家。論文に「新民主主義論」「矛盾論」など。1976年死去。 |
| や行 | |
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| 現在無し | |
| ら行 | |
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| リ・トン・キエト | [李常傑 Ly Thong Kiet](1035?-1105) ベトナムの偉大な武人。1076年、宋(中国)の攻撃を撃退し「南の地は南国の帝王が支配するところ」と民族の気概を見せた。 |
| レーニン | [Viadimir Il'ichi Lenin] [本名=ウラジミール・I・ウリヤノーフ] 世界初の社会主義国家ソヴィエトを創設した。著書に「帝国主義論」「国家と革命」など。 |
| レ・クアン・ダオ | [Le Quang Dao] 人民軍中将。ラオス戦線で活動。ケサン包囲戦時に9号道路B-5作戦区委員。実質的にケサン包囲戦を指揮した。 |
| レ・ズアン | [Le Duan](1907-1986) ベトナム労働党第一書記、暗号名「同志バ(Dong chi Ba)」。 ホー・チ・ミン指導体制の跡を継ぎ戦後書記長。強力な個性を発揮したが急速な社会主義体制のもとで民族融和、経済施策などに失敗。レ・ズアン死去後の指導部はドイモイを始めとする政策転換を迫られることになった。 |
| レ・タイン・トン | 準備中 |
| レ・ドク・ト | [Le Duc Tho] ベトナム労働党政治局員。レ・ズアンともに親ソ派路線を打ち出した一人。キッシンジャーと共に73年ベトナム和平(パリ協定)に貢献しノーベル平和賞を受賞した(※その後辞退)。戦後、党中央軍事委員会委員長など重要ポストを歴任。 |
| レ・ドク・アイン | [Le Duc Anh](1920-) ベトナム労働党政治局員。パリ協定後第9軍区司令官。戦後、国防相。 戦争後半に積極的な攻勢を主導し、後の三大攻勢を企図することに大きな貢献をした。 |
| レ・ミン・ダオ | 1975年南ベトナム第18歩兵師団長、戦争終結目前のロンカン地区・スアンロク防衛戦で有名。 |
| レ・ロイ | [黎利 Le Loi/レ・タイ・ト=黎太祖 Ly Thai To](1385-1433) タインホア出身。明(中国)の支配に対して蜂起、十年に及ぶ戦いの後独立を回復した。ベトナムの民族的英雄。 |
| ロバート・キャパ | 準備中 |
| ロン・ノル | [Lon Nol] カンボジア右派勢力の実力者。1970年のクーデターで権力を奪取。クメール・ルージュ勢力と戦ったが破れて75年にアメリカに逃亡した。 |
| わ行 | |
|---|---|
| 現在無し | |
